公友館俺っ家

「必ず帰ってくる」



■「三陸の新鮮な魚」と「好きなこと」

俺っ家は、三陸の新鮮な海鮮を使用した居酒屋だ。店内はカウンター席、テーブル席、お座敷があった。壁には色紙がたくさん飾られており、多くの人から愛されているお店だということが伝わってきた。毎朝大船渡市場に店主の熊谷さん自ら出向き、魚介を仕入れている。お店のイチオシは「イシカゲ貝」だ。意外と高級品。店内の水槽に入っており、少し水から出しただけで勢いよく貝が動き出した。こんなに活きのいい貝を初めて見たのでとても興奮した。本当に新鮮そのもの!皆さんも俺っ家に来たらぜひ食べていただきたい。
 熊谷さんは多趣味な方だ。書き物が好きでご自身でお店のブログを書いていたり、フォークソングから入った音楽は、今では音楽イベントを主催したり、出演したりするほどである。バイクや釣りなどもやっており、全国にたくさんの友人がいるそう。いくつになっても自分の好きなことができるのは素晴らしい。人生が充実しているのが感じられた。私もいつまでも少年の心を忘れないように、自分の好きなことややりたいことを続けていける人生を送りたい。
メニュー 俺!〇〇がとても印象的
https://www.youtube.com/watch?v=XRm7fpOqnuM
俺っ家の新鮮なイシカゲ貝


■「震災後、帰ってきづらい状況」

震災が発生したとき、熊谷さんと奥さんは息子さんの就職の引っ越しのため宇都宮にいた。地震が発生し、宇都宮でも今までに感じたことのないような大きな揺れと停電に襲われた。夜には電気が復帰したのでテレビをつけてみると、画面には津波に流され、変わり果てた故郷高田のまちの映像が映しだされていた。そこで初めて陸前高田の状況を知ることとなった。すぐに戻らなければと思ったが、道路も使えないところがあり、停電などの影響によって2日かかってやっと岩手に戻ってきた。広田にあった自宅は全壊。震災当時陸前高田を離れていた自分たちが避難所に行ってみても入れる雰囲気ではなく、非常に居づらかったという。そこには、何かしたくても何もできないもどかしさがあっただろう。そのためしばらくは一関の友人の家を借り、陸前高田を行き来していたという。
インタビューに答える 親方 熊谷浩昭さん



「よく帰ってきてくれましたね」

  震災前は陸前高田で「酔処俺っ家」という名称で、お酒を飲んでたのしむところという意味から名付けた。震災後は、陸前高田でお店を開くことができなくなってしまったため、まず盛岡に拠点を移すことを決めた。盛岡ではお店の名称を「陸前高田俺っ家」とした。名称に「陸前高田」をつけることで、陸前高田のことを盛岡の人々にも伝えていきたい、知ってもらいたいという思いからこの名前にしたという。盛岡でも人気店だったが、いずれは陸前高田に帰るんだと心に秘めながら、6年間。いよいよ陸前高田に帰るということを盛岡の人に伝えると、みんな驚いていたそう。引き留める人もいたそうだ。
 中心市街地に戻ってくると連日満員で、「よく帰ってきてくれましたね」という言葉が嬉しかったという。お店を開くことでまちに明かりを灯すことができたのだ。陸前高田が好きで、陸前高田の人々に愛されている俺っ家。ぜひ、ここ俺っ家にきて新鮮な三陸の魚介を使った品を食べてほしい!みんなで俺っ家で楽しいひとときを過ごせることだろう。
公友館俺っ家 店内
中心市街地 オープン当初の写真 
まだ周りにはお店ができていなかった
盛岡時代の店舗「陸前高田俺っ家」



「インタビュー先」
店名:公友館俺っ家
定休日:月曜日
営業時間:17:00~23:00
電話番号:0192-22-7705
URL:http://ww4.et.tiki.ne.jp/-orecchi/misel.htm

取材相手:熊谷浩昭 さん
インタビュー実施日:2018年9月19日(水)



【自己紹介】岩手県立大学、Y.I.

 秋田県出身。岩手県立大学総合政策学部の2年生。陸前高田を訪れたのは初めてです。私は海の見えるところで育ったので、陸前高田のまちの感じがすごく懐かしいような気持ちになりました。太平洋もいいなぁと。ひとがとても温かく、皆さんが、これから良いまちを作っていくんだという熱い思いを持っていることと、行動力に心を打たれました。
 多趣味で友人も多い、気さくな熊谷さんのいる俺っ家では、楽しく飲めること間違いないし!これからも陸前高田を応援します。

コメント

このブログの人気の投稿

荒木鮮魚店

四海楼

エビだしラーメン こんの屋