投稿

10月, 2018の投稿を表示しています

中華食堂熊谷

イメージ
恥ずかしながら担々麺 中華食堂熊谷。店名の下の年号は創業年。「担」の字が・・・? ■ 担々麺との出会い 暖簾にかかる「担」の文字。この文字から連想される通り、中華食堂熊谷の「こだわりの一品は担々麺」、と控えめに語る熊谷さん。  熊谷さんが担々麺に出会ったのは、東京へ修行に行った時の事。陸前高田にいた頃は担々麺を知らなかった熊谷さん。カルチャーショックを受けたと言う。陸前高田に帰ったら担々麺をぜひ紹介したいと思った。 11 年間東京にいたが、その思いがあせることはなかった。でも、帰ってきた頃の陸前高田ではまだ「担々麺」が浸透していなかったので、担々麺はメニューの一番下の端に書き入れるひっそりしたスタートだった。ところが、岩手日報の紙面に取り上げられると、口コミで広がった。今ではメニューの一番上に収まる担々麺(白)、そして担々麺(黒)だ。熊谷さんは、「いつか担々麺を目立たせたいと思っていた」、と満足げに語る。 調理中の熊谷成樹さん 担々麺(白) 720 円 担々麺(黒) 720 円 ■ ひっくり返った暖簾の意味とは …  もしかしたら暖簾の写真を見て違和感を覚えた人もいるかもしれない。そう … 「担」の字が裏返っているのでは?と。熊谷さんによると、暖簾の表側は日に焼けて色が薄くなってしまったが、裏の色が無事だったことから新しい暖簾をつくるまで、裏返して使い続けるのだそうだ。でも、これはこれで逆さ看板だと前向きにとらえることにしているという。   最近は「杏仁豆腐」の「杏」なら裏返しても気にならないということで、もう一枚暖簾を作ることも視野に入れているとか。担々麺と並び、手づくり杏仁豆腐も中華食堂熊谷のおすすめメニューの一つ。担々麺の辛さは杏仁豆腐の甘さを際立たせる。ぜひとも、この辛さと甘さの絶妙のコントラストを楽しんでもらいたい。 手作り杏仁豆腐 250 円 ■ 震災当時について  中華食堂熊谷は、創業時の 1940 年から陸前高田駅前に店舗を構えていた。震災当時も営業していたが、お昼時を過ぎていたためお客さんはいなかった。熊谷さんは従業員と「ご飯どうしようか」と話して

菅久菓子店

イメージ
「遠くの人にも 新たなまちをみてほしい」 ■「みんなと力を合わせて」 1896年に創業を開始した菅久菓子店。現在店主をつとめる菅野さんは五代目だ。お店にはテラスもあり、そのテラスからは公園が見える。お子さんが公園で遊ぶ様子を見守りながら、保護者の方はケーキを食べて一息つくことができるのである。地域に愛されているお店だ。お店手作りのケーキがショーケースに並べられており、見ているだけで幸せに満たされる。  一番のお店の売りは「マドレーヌ」。震災後からマドレーヌのパッケージには一本松が描かれている。また、土日祝日限定でジェラートの販売も始めたそうだ。ジェラートは季節に味を変えており、このジェラートの味の一つとして熊谷珈琲店とコラボしたコーヒー味もあるそうだ。菅野さんは「せっかく新しくできたまちなので、いろいろなお店と協力して利益を上げていく努力をしていきたい」と語る。  *ジェラートは、冬期休業しています。3月11日から再開予定です。 ケーキのショーケース お店自慢の一品「マドレーヌ」のパッケージ ■震災後からこれまで 菅野さんは地元の消防団に入っていたため、震災発生後すぐに、避難誘導や交通整備などの消防団活動に取り掛かった。先に避難場所の体育館に行った6人の消防団員は津波に流されしまったという。こういう話を聞くと、本当に津波はすぐそこであったんだ、死と隣り合わせの出来事だったんだ、と考えさせられる。  そして、「未来商店街」の仮設店舗で5年。仮設店舗時代、始めのうちはよかったが、お客さんは車で来る人が多いので、どうしても入りづらい。その後どんどんほかの店舗が出ていき、ついでにくるお客さんも減ってしまったことが大変だったそう。最後の半年は他の店舗がほとんどいない状態だったので、ついでで来るお客様が減り、その時期が一番苦労したという。  今年4月23日にここ中心市街地に開店した。今では、周辺にたくさんのお店があるため、近隣市街地や遠くからも来てくれるお客さんが増えたことがよかったと話していた。その反面、昼間人口は多いのに、夜間人口が少ないことが不安だと語る。一見、中心市街地は活性化しているように感じられたが、まだまだ課題はあるのだ。 仮設時代の菅久菓子店 ■行政の苦労が分かった 震災

公友館俺っ家

イメージ
「必ず帰ってくる」 ■「三陸の新鮮な魚」と「好きなこと」 俺っ家は、三陸の新鮮な海鮮を使用した居酒屋だ。店内はカウンター席、テーブル席、お座敷があった。壁には色紙がたくさん飾られており、多くの人から愛されているお店だということが伝わってきた。毎朝大船渡市場に店主の熊谷さん自ら出向き、魚介を仕入れている。お店のイチオシは「イシカゲ貝」だ。意外と高級品。店内の水槽に入っており、少し水から出しただけで勢いよく貝が動き出した。こんなに活きのいい貝を初めて見たのでとても興奮した。本当に新鮮そのもの!皆さんも俺っ家に来たらぜひ食べていただきたい。  熊谷さんは多趣味な方だ。書き物が好きでご自身でお店のブログを書いていたり、フォークソングから入った音楽は、今では音楽イベントを主催したり、出演したりするほどである。バイクや釣りなどもやっており、全国にたくさんの友人がいるそう。いくつになっても自分の好きなことができるのは素晴らしい。人生が充実しているのが感じられた。私もいつまでも少年の心を忘れないように、自分の好きなことややりたいことを続けていける人生を送りたい。 メニュー 俺!〇〇がとても印象的 https://www.youtube.com/watch?v=XRm7fpOqnuM 俺っ家の新鮮なイシカゲ貝 ■「震災後、帰ってきづらい状況」 震災が発生したとき、熊谷さんと奥さんは息子さんの就職の引っ越しのため宇都宮にいた。地震が発生し、宇都宮でも今までに感じたことのないような大きな揺れと停電に襲われた。夜には電気が復帰したのでテレビをつけてみると、画面には津波に流され、変わり果てた故郷高田のまちの映像が映しだされていた。そこで初めて陸前高田の状況を知ることとなった。すぐに戻らなければと思ったが、道路も使えないところがあり、停電などの影響によって2日かかってやっと岩手に戻ってきた。広田にあった自宅は全壊。震災当時陸前高田を離れていた自分たちが避難所に行ってみても入れる雰囲気ではなく、非常に居づらかったという。そこには、何かしたくても何もできないもどかしさがあっただろう。そのためしばらくは一関の友人の家を借り、陸前高田を行き来していたという。 インタビューに答える 親方 熊谷浩昭さん ■ 「よく帰ってきてくれました