投稿

9月, 2018の投稿を表示しています

みつわ飯店

イメージ
「心が休まるお店に...」 店主の細谷昌司さん ■入りやすい、来やすいお店!  昭和13年創業。ご主人で、3代目となる。現在のご主人である細谷昌司さんは、20代のときに8年ほど東京の赤坂で修業をしていた。そのときに学んだ東京の味を料理に取り入れながらも、土地にあった味にすることにこだわっている。また、代々受け継がれてきたお店の味を守るだけでなく、さらに新しいものを加えることもしているそうだ。  平日、土日はたくさんのお客さんで賑わうが、特にも土日は休む暇もないほど忙しいそうだ。地元の方にたくさん利用してもらっているが、気仙沼、大船渡、盛岡など、県内だけでなく県外からも来られる方がいる。  お店のメニューは豊富であり、手頃な価格であった。ご主人がおすすめするメニューは、角煮ラーメン、ルースー麺、あんかけ焼きそばで、これらはテレビでよく紹介されるそうだ。角煮ラーメンやルースー麺はとても珍しいメニューだと感じた。  店主である細谷さんは、「お店がお客さんにとって入りやすい、来やすいお店になればいい。お客さんの心が休まる場所にしたい。」と語った。 あんかけ焼きそば チャーシュー麺 ■あの日、あの時・・・  震災前、お店は現在のアバッセたかたのあたりにあり、現在の店舗より倍ほど広くて、宴会場もあった。   2011年3月11日の東日本大震災。大きな地震と、大規模な津波が町を襲った。地震の後、お店はめちゃくちゃになり、足の踏み場がないほどだった。ご主人は「この世の終わり」だと感じたそうだ。普通だったら逃げないが、みんな避難していてこれはただ事ではないと思い、まずは二階に上った。けれども、防災無線から鬼気迫った状況を察知し、高いところへ逃げていったそうだ。ご主人は「2,3分遅ければ生きてなかったかもしれない」と語った。 私は、震災は本当に恐ろしく、あの時のちょっとした行動が人々の人生を左右することになったんだと思い、人生はどうなるか本当に分からないものだと感じた。 ●震災から約7年半の道のりとご主人の思い 仮設店舗時代のお店の様子  震災翌年の2012年(平成24年)3月14日に仮設店舗を設け、そこから6年ほど営業していた。2018年(平成30年)3月29日にここの中心市街地に移転してきた。  震災によってすべて町が

いわ井

イメージ
「面白いものを面白く並べる」 1747年から経営しているいわ井の12代目 磐井正篤さん ■いわ井の魅力  いわ井は、1747年創業という長い歴史をもつお店で、もともとは飾職だったが造り酒屋、酒屋を経て、現在は、食器や置物、手拭いや風呂敷など雑貨も販売するようになった。現在の店内は和の雰囲気で包まれている。  そこで営む12代目の磐井正篤さんは、商品を並べる際には配置を重要視していて、見ている人が楽しく面白く感じるようにしているそうだ。季節や旬に合わせて商品を置いているので、シーズンごとにお店の雰囲気も変わるところも楽しめそうである。店内で特に気にかけているのは、割れ物の検品をしっかり行うことや、商品の材質・原料や製造者など素性を明らかにしたものを取り扱うことである。そしてなんといっても、お客さんが楽しめないものは置かないことである。                                                   〈お月見に合わせた置物〉   〈紅葉や落ち葉など秋らしい手拭い〉  このように和の香りがする落ち着いた雰囲気のお店であり、季節とともに色を変えていくお店である。 もちろん酒屋としても経営している。 〈幅広い種類のお酒〉 ■乗り越えたのは  震災後、陸前高田市の中心市街地で出店するまでに至り「仲間と一緒にやってきたからこそ乗り越えられた。一人だったら無理だった」と磐井正篤さんは言う。震災で家を流された磐井さんは、奥さんと高台にある義兄の家でしばらく暮らすことになった。そして、数ヶ月が経ち友人などから「生ビールが飲みたいね」という声があがり、それをきっかけに震災があった年の5月にお酒を売り出した。しかし、店舗も商品もなくなっていしまっている。どうやって磐井さんは商売を始めたのだろうか。磐井さん曰く、義兄の家のベランダや東屋で販売したり、土日の朝市で雑貨や器を並べて売ったこともあるそうだ。 〈仮説の店舗〉 〈現在の店舗〉 ■「繋がることをたいせつに」  いわ井として店舗を立ち上げるのに、お店に来てくれるお客さんやメーカーさん、その他様

陸前高田商工会

イメージ
人々が集う中心市街地にしたい 「まちなかマップ」を示しながら語る 佐々木誠さん(陸前高田商工会事務局長) ようやく、まちなかに店舗の再建が進みつつある  約500の会員からなる陸前高田商工会(2017年4月1日現在)。2011年の東日本大震災津波では、市街地のほぼ全域が津波で流され、商工会会員事業所のほとんどが被災した。  高台の造成やかさ上げによる中心市街地づくりの工事が続いていたが、震災から6年を経て、2017年春に大型商業施設「アバッセたかた」が完成。その周辺にも次々とお店がオープンしつつある。佐々木さんが手にしているのは「まちなか出店者マップ」。すでに本設工事を終えて開店している店、これから出店予定の店が、中心市街地の地図に書き込まれている。その数約50店舗。大型商業施設「アバッセたかた」内の20店舗を合わせると70店舗になり、さらに多くの店の立地が期待されている。 商工会会員の約9割が被災  震災当時、陸前高田商工会には699人の会員がいたが、その約9割が被災した。被災した会員の半数以上は営業を継続・再開したが、廃業した会員も多い。2017年4月1日現在の会員数は496。最も多いのは小売業と飲食店だから、まちなかの再建は待ち遠しかったことだろう。  商工会が入っていた商工会館も流されてしまった。震災直後はテントで活動を再開し、その後プレハブの仮設事務所に移って業務を続けていたが、2018年、ようやく中心市街地に新しい商工会館が完成した。 中心市街地に完成した陸前高田商工会館の落成式 2018年6月3日 テントにて業務を再開 2011年3月30日 中小企業基盤整備機構が建設したプレハブに移転 2012年3月 商工業の復興に向けたビジョンを提言 ~コンパクトシティ~  その間、2011年には「商工業復興ビジョン」を、2012年には、新しい中心市街地・商店街の整備について、陸前高田市に要望書を提出した。  要望したのは、(1)商店街や公共施設がまとまったコンパクトシティにすること、(2)中心商店街地域の工事を先行すること、(3)公設民営による共同店舗を整備することなどだ。(3)の「公設民営」は実現せず「民設民営」となったが、おおむね要望した方向でまちの再