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12月, 2018の投稿を表示しています

熊谷珈琲店

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気軽にひといきつける空間 カウンターに立つ熊谷さん ■くまの看板が目印  カフェの外にある、くまが描かれた可愛らしい看板がこのカフェの目印だ。店内に入ると、珈琲の深い香りが漂う。そして、やさしさ溢れるオーナーの熊谷さんが出迎えてくれる。ここでは、様々なお客様が、ほっとひといきつきながら落ち着いたり、打ち合わせの場として利用したりするなど一人ひとりが思い思いの時間を過ごしている。 可愛らしいくまの看板 ■こだわりのある大きな窓  熊谷さんは、この店内の内装で特に気に入っているところについて語ってくれた。それは、店の大きな窓である。熊谷さんは、店舗の設計をする際にとてもこだわったそうだ。ちなみに、大きな窓からは、まちなか広場や陸前高田の町の変化を展望できる。この景色を眺めながら、珈琲と共にひと時を過ごすのも最高だ。また、大きな窓から差し込むやわらかな日差しが店内を温かなムードに包んで私たちを夢心地にさせる。 ■お客様に愛される珈琲  やはりカフェの定番ともいえる、ブレンドコーヒーが店長の一押しだ。珈琲から漂う深い香りと心地いい苦味が私たちの心を満たしてくれる。そして、ブレンドコーヒーの他にもあるいくつかのメニューも魅力的だ。季節や月ごとに変わる限定メニューもあり、様々な味を季節の移り変わりと共に楽しめる。 珈琲を焙煎するための機械   ちなみに、私たちは取材で訪れた時に、”コーヒーフロート”と”チョコレートドリンク”と”飲む!チーズケーキ”を頂いた。どれも、譲れない味だ。   アイスとコーヒーの相性ばつぐん ”コーヒーフロート” チョコレートの甘さに心がほっこり ”チョコレートドリンク” まるで、新感覚を味わえる ”飲む!チーズケーキ” ■震災当時の状況    熊谷さんは震災当時は、東京で別の仕事をしていたそうだ。だが、陸前高田に構えていた実家が震災による津波の被害をうけた。震災が地元で起きたことを契機に熊谷さんは、一度地元に帰ってきた。その際に熊谷さんは、熊谷珈琲店を始めるきっかけともなる強い影響を受けた。 ■りくカフェに影響を受けて   熊谷さんは、震災当時、陸前高田にある”りくカフェ”というカフェに多くの人が集い

ファッションロペ×東京屋カフェ

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「Only Oneの店に」 コーヒーを淹れる小笠原さん ■笑顔をもう一度  中心市街地でもっともおしゃれといっても過言ではないのが、この「ファッションロペ ×東京屋カフェ」である。  現在店主の小笠原修さんは二代目で、震災前はファッションロペのみのお店だった。ファッションロペは1960年、小笠原さんの両親が、直接東京から一番の流行の品を仕入れてきたことから始まった。その当時は行商人からの仕入れが多く、都市部から商品が入ってくるまでに半年以上かかることもあったという。  陸前高田の駅前で小物や洋服を販売していたが、大震災津波で、店舗、倉庫、自宅、すべてを流失してしまった。しかし幸いにも、家族は全員無事だったそうだ。事前に家族で避難について話し合っていたが、震災時について、小笠原さんは「本当に運が良かったのではないか」と述べている。震災後5ヶ月間避難所で暮らし仮設住宅に住み始めると、精神的に落ち着いてきたことで商店街をつくろうという想いに至った。そこで、仲間たちと共に陸前高田未来商店街を開設した。それから約5年を経て、2017年中心市街地に、小売店にカフェを併設した「ファッションロペ×東京屋カフェ」という新しいスタイルのショップをオープンした。  何 故、もう一度立ち上がれたかと伺うと小笠原さんは「震災前のように、お客様に笑顔を贈ったり、頂いたりしたいと思ったから。」と話していた。今もこれからも「笑顔」がキーワードであると話す小笠原さんの笑顔は、とても輝いていると感じた。今となってはそのような姿を見せてくれているが、震災時はやはり心が折れそうな時もあったという。しかし、日々さまざまな方から頂く、多くの物心両面の支援、その支援を無駄にはできないという想いが、前を向く励みになったと述べている。また、小笠原さんは剣道の先生をしていて、生徒に常に「前へ」と教えていたこともあり「自分が後ろ向きになってはいけない」、という想いが心を支えていたという。 ファッションロペで扱われている小物 CAFEから見えるファッションロペ ■ここにしかないもの  ファッションロペは小物がおすすめ商品である。もちろん洋服もあるが、アンティーク物のような置時計や、女性らしいハンカチ、ヘアアクセサリーなど、見ているだけでも心弾む商

味と人情のつるかめ鮨

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1日でも多く、暖簾を出し続けたい 店主の阿部和明さん ■味と人情の温かさを感じる場所   暖簾をくぐると店主の阿部和明さんの朗らかな笑顔に出迎えられる。ここは、味と人情のつるかめ鮨。37年の歴史を持つ寿司屋だ。お店の名前には、店主の特別な思いが込められているそうだ。 ■お店の名前に込められた思い   あの東日本大震災を経験し、多くの方から温かい支援を受けた。また、日々お客様との”絆”や”つながり”の大切さをしみじみと感じている。だからこそ、多くの支援を下さった方々やお客様への感謝の気持ちを”味と人情”のつるかめ鮨という名前に込めたそうだ。 ■心揺さぶられるおもてなし   このお店の雰囲気に私たちが魅了されるのには、どうやら店主に秘密が隠されているようだ。それは、なんといっても、新鮮で美味しいお寿司に花を添える店主のトークである。時には、震災の経験を話してくれる語り部としての役割も務めてくれる。 店主が握る心こもった新鮮なお寿司 (上から特上・上・並である。) 特上 ¥3000(消費税別) 上 ¥2000(消費税別) 並 ¥1000(消費税別)  また、お客様にとって心地いい場所にするために施された店主の仕掛けには感心させられた。例えば、つるかめ鮨の名物でもある”愛のナイアガラ”。これは、お客さんと写真を撮る際に色鮮やかな紙テープで装飾を施すものである。このような楽しい仕掛けには、思わず子供時代に帰ったような感覚にさせられ、心揺さぶられた。 おそらく、訪れたらお寿司と明るい店主のトークと仕掛けに、お腹も心も満たされるだろう。 ■震災を経験して   震災当時の話について、語ってくれた。明るい笑顔が絶えない店主も、震災の話をする表情から険しさが感じられた。  震災前に営んでいたお店と自宅は、津波で失った。震災を経験して一言では語りつくせないほどの苦労を味わったそうだ。それでも、仮設店舗で営業再開という道のりを越えて現在、中心市街地で4軒目の再建を果たした。再建に至るまでの過程で、”多くの支援や人とのつながり”があったからこそ、今があると語ってくれた。 仮設店舗で営んでいた時のつるかめ鮨 ■ようやくここまできた   店主は、お客様

やぶ屋

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「誰からも愛される店に」 今回取材に行ったのはお昼時には行列ができるほど人気のある「やぶ屋」さんだ。3代続く老舗のおそば屋さんである。中でも1番人気のあるメニューは天ざる(1100円)である。お客さんのうちの約3割がこの天ざるを頼むのだそう。数種類の天ぷらと甘めが特徴の秘伝のタレの相性は言うまでもなく抜群である。内陸は濃いめのタレのほうが多いそうだが、沿岸の人たちに合うように甘めのタレにしているそう。やぶ屋さんはメニューの中には通常の半分のサイズのそばや丼ものがあるので、自分の好きな組み合わせを楽しむこともできる。 天ざる(1100円) やぶ屋のメニュー ■歴史あるそば屋 今回インタビューしたのは3代目の店主及川雄一さん。1961年創業で、2011年にちょうど50年目を迎えたが、その年に起きた東日本大震災津波の影響で元々あったお店と自宅が全壊してしまったそうだ。その後、先代の味を再現するため試行錯誤し、2012年の4月24日から栃ヶ沢ベースという仮設店舗でお店を再開した。そのなかで、仮設店舗で隣に入居していた1747年創業の和雑貨店のいわ井さんの社長さんの声がけで、中心市街地のなかのまちなかテラスにテナントとして入ることを決めたそうだ。そして2017年10月1日に栃ヶ沢ベースからショッピングモールアバッセたかた付近のまちなかテラス内に移転した。中心市街地に出店したことで、駐車場も完備されており、仮設店舗の時と比べ、利用しやすくなったことから、お客さんがたくさん増えたそうだ。しかし、お客さんが増えたことにより、忙しいときは人手不足を感じることも多いそう。求人をしているがなかなか増えないというのが現状だそうだ。 やぶ屋の外観 (店名の下には創業開始の年が書かれている) ■これからも地元に愛される店に・・・   インタビューの最後にこれからのお店と陸前高田への思いを伺ったところ、「これからもずっと商売を続けていきたい、生まれ育った町である陸前高田が次の世代の子どもたちまで長く続いていくことが大事だ」と話されていたことが印象に残っている。そして「沿岸のみんなはがんばってやっているから、内陸の人たちにもたくさん来てほしい」と及川さんはおっしゃっていた。内陸沿岸問わず、たくさんの方がおいしいやぶ屋さんのおそばを

barber-shop solest

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人を選ばない椅子 温厚に応える佐藤孝之さん ■人に優しい  barber-shop solest が私は大好きだ。なぜなら、店内はバリアフリーで、半個室化された店内だからだ。この椅子は座る人を選ばない。車椅子の方は肘掛け付きの椅子に座る時、通常は二人の補助が必要だ。しかし、この椅子は、車いすの方を店主一人で座らせることができる。それは、この椅子の肘掛けが下がるためだ。また、仮設店舗の時、1ルームだったため「お客さんから人の視線が気になる」と言われたそう。そのため、開店するにあたって、不快な視線をシャットアウトすることに。店内は半個室化されている。 座る人を選ばない椅子 自分専用の空間に ■近所の一声で避難 孝之さんは、住田町で暮らしている。心やさしく、温厚な方である。震災前も理容院で働いていて、震災時には二人の女性のパートさんと勤めていた。そのパートさんらは、子供を迎えに行くため帰った。孝之さんは、自宅に帰ろうと道路を見たが、車が渋滞していたため、3時過ぎまで一服していた。すると、近所の人が「危ないから、逃げろ」と言った。これが、人生を分ける一声となった。その近所の一声のおかげで、無事に自宅に帰ることができた。店舗は、2階建ての鉄筋造だったが、根元から流された。 ■にぎやかな町に! 震災後、市役所と高田のコンサルタントから、町づくりの話を聞いた。それは、「バスの通る道や子供達の通学路はこうなります」、「きれいな街を作りましょう。」というものだった。しかし、「町がどうなって行くのか説明がなく、見当もつかず不安」だった。  しかし、solestの近くに仮設のグランドができた。すると、野球とサッカーのスポ少が練習を始め、その「子供達のにぎやかな声で、元気が出た」という。今では、「子供達が遊んだり、のびのびできる」町にしたいと思った。やはり、子供達のにぎやかな声は町を元気にする。その声は、町の太陽なのである。 ■いろんな方の後押しがあって開店     震災後、仮設店舗で勤めていたが、おととしオーナーが店を閉めることになった。そこで、その空き店舗を借りて営業することを決意した。2年の月日が経ち、お客さんや知り合いの四海楼さんの後押しから、中心市街地への開店を決めた。今では、ビジネス客が多く、女性の方や家族連

まちなか広場 交流施設 ほんまるの家

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「一歩踏み出せる場に」 ほんまるの家入口 陸前高田まちづくり協働センター ほんまるの家 スタッフ 種坂奈保子さん ■「ほんまるの家」 中心市街地の中でも特に真ん中に位置する「ほんまるの家」は、2017年に建設された。日本だけでなく世界で活躍している一級建設士の伊東豊雄さんが、10年前の東京ガス株式会社のイベントで設計をし、今回東京ガス株式会社から陸前高田市に寄贈された建造物だ。  その特徴は、柱が外側になくガラス張りになっていること、全体が森のイメージで作られているので、木に包まれている感覚になれることだ。外から見ると、何の建物なのか目を引かれる。中に入って見ると、木に包まれ、ガラス張りなので日光もよく入り、とても居心地がいい。また、キッチンも設けられ、15人で囲める大きな円卓があるため、さまざまなイベントや行事に役立っている。とくに、大きな円卓は、全員の表情が見え、席が遠い人とも話せるという大きな利点を持っている。種坂さんも「ロの字の机の会議室では、言葉が相手に届かず真ん中に落ちていく。それが、この円卓だとしっかり相手に言葉が届く」と話していた。そのため、殺風景な部屋で会議をしているよりも、木のぬくもりに包まれ、15人全員で大きな円卓を囲み話し合うことで会議が盛り上がるのだそうだ。  また、ガラス張りのおかげで外の風景がよく見え、高田の町や目の前にある「まちなか広場」で遊ぶ子供たちを眺めることができる。また、中心市街地の中でも真ん中にあることで、閉鎖的な建物と比べ、他の地域の人が来やすく、自由度が高い。ここで、偶然の出会いが生まれることも少なくない。 ほんまるの家の使い方の絵図 ■想いが形になる ほんまるの家では、施設の使い方を広めるために月に一回イベントを企画開催している。このイベントは、これをやってみたいという市内外の人の声をもとに企画されている。たとえば、映画が見たいという声が上がったことで映画観賞のイベントが開催された。プレゼンターを立て、見たい映画とやりたいことを考えてもらう。いままでに、ポップコーンを作ったり、カキ氷を作ったりとやりたいこともさまざまだ。ここで種坂さんらスタッフが大切にしているのは、先生を外から呼んでくるのではなく、市民が先生になるということだ。映画鑑賞のイベントでは、プレ

ササキスポーツ

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スポーツに待ったなし インタビューに答える菅野さん ■ 自分に合ったインソールを    陸前高田のササキスポーツには東北で唯一「 Foot Look 」という機械がある。これは足の裏の圧力を測定し、偏平足やハイアーチ *¹ ではないかを調べるものだ。さらにその測定結果から自分に合ったインソールをつくることも出来る。このオリジナルのインソールを求めて、県内でも遠野や水沢など遠方から来るお客さんもいるそうだ。 *¹ ハイアーチとは、土踏まずが高い状態にあることを指す。 足裏バランス測定「 Foot Look 」で 足裏の圧力を測定する筆者 オリジナルのインソールを作る機械 ■ まちのスポーツ用品店 ササキスポーツはまちのスポーツ用品店だ。地元のスポーツ少年団や、中学、高校のクラブ活動をしている生徒や、グランドゴルフやジョギング、最近は新しく市営のプールが出来たことからプール用品を買い求めるお年寄りなど、幅広い年齢層のお客さんがササキスポーツを訪れる。 ササキスポーツ 店内 店の自慢は、菅野さんも含めた従業員が、スポーツに関わりあっており、高校生や中学生にスポーツを教える指導者でもあるということだ。だから商品を販売する時も、売り手の目線だけではなく、スポーツ指導者としての目線から、買い物のアドバイスをしながら商品を薦めることができる。   ■ 震災当時について 震災が起こった時、菅野さんは陸前高田駅前にあった店の中にいた。この時間、いつもは市立体育館で女子テニスの指導をしている時間帯だった。大きな揺れを感じ、店の外に出た菅野さんが再び店内に戻ると、スポーツ用品が今までにない崩れようで目の前に広がっていた。その後の大きな揺れに、「もう駄目だ」と思い、店にいた他の従業員と共に避難を開始した。まさかあれだけの津波が来るとは思わなかった、と当時の様子を思い出しながら語ってくれた。 現在のササキスポーツ 仮設店舗時代の ササキスポーツ ■ 「スポーツをやっている子供に『待った』はない。」

HAIRFLAT

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「コミュニケーションを大切に」 店主の平坂章子さん ■お店の魅力   今回取材に行った美容院 HAIRFLAT さん。この HAIRFLAT の店主である平坂章子さんはインタビュー中も絶えず笑顔で話しやすい方だった。店名である HAIRFLAT の名前の由来は名字の「平」の英語からとったものだ。地元のお客さんからは「ふらっと」気軽に来られるという意味でつけたのかと言われることもあるそう。お客さんの 8 割~ 9 割は女性の方で、10代から8 0 代の方まで幅広い年代の方々が利用している。このお店の売りは、洗髪する水に炭酸ガスが含まれているというところである。この効果として、毛穴や髪の汚れが落ちやすくなる、血行促進、パーマやカラーによる髪のダメージを抑えるなどがあげられる。女性だけでなく男性にもおすすめなのでぜひ体験してほしい。下の写真が炭酸ガスの入った水が出てくるシャワー。触ってみると普通の水と比べ、かすかにシュワシュワしている。 炭酸ガスがでるシャワー                             ■震災からの再スタート   東日本大震災が起こり、もともとあったお店が全壊してしまい、ホテルの大広間に設けられた仮設美容室で 2011 年 6 月から 2014 年の 6 月までの 3 年間そこで勤めていたそうだ。その後海岸通りという美容室で働いたのち、今年 2018 年の 4 月 30 日に念願である自身のお店を今の場所にオープンした。中心市街地であるこの場所に出店しようと思った理由は立地の良さにあるそうだ。お店がある場所は公園のそばで眺めがよく、景色もとてもいいものとなっている。駐車場からの動線を考慮し、お店の内装や椅子などの配置場所を自ら考えたそうだ。「この場所にお店を建てることができてよかった」と平坂さんはうれしそうに話していた。 HAIRFLATの外観 ■人対人のコミュニケーション   HAIRFLAT は店主の平坂章子さんがお一人で経営されていらっしゃる。その分お客さんと 1 対 1 でコミュニケーションすることが多く、会話そのものを楽しむことができるそうだ。この美容院のお客さん